ある方から「私にとって人生とは修行ですが、みなさんはどうですか?」と問われまして、ちょいと考えました。
修行というのも、すごく分かる。だって、自分の半生振り返って、楽しかった時期って本当に短いもん。
ただ、今の私には修行より探求、もしくは探究の方がしっくりくるかな。
というのも、ここ数年は生きているというより生かされている、という感覚が強くてね。
たとえば健康問題だけ見ても、ガンの再発、再々発っていう話が最近まわりから出ていて。あと、姉にしても早期乳ガンにもかかわらず、4年で再発して亡くなったでしょ。
ステージ3bで、再発は覚悟してくれ!と医者から言われてる私が、その兆候もなく生きているのが解せないで悩んだこともあったの。
そこに今は眼の問題が発覚したじゃない。まぁ、まだ検査があるから全貌が明らかになってないけど。
分かっているデータからだけでも、モノが歪んで見えるようになるとか、失明のリスクが高いのよね。
でも腹は括ってるよ。まともに見えるうちに見たいモノや景色は1つでも多く見ておこうとか、失明したらオシャレなサングラスかけたいから物色しておこうとか。
仕事もどんなことなら出来るのか、ネットも見えない状態で操作って出来るのか、調べておこうなんて考えてる。
それにしても、こんな状態でなぜに生かされているのだろう?まして再発だの失明だのって現実になったら、ますます疑問が大きくなる。
あら、こういうこと書くと誤解されそう。絶望してる訳じゃないから、読んでくれてるみなさん、心配しないでね。
だから今の私には、人生とは「生かされていることに対する答えさがし」かなぁ。